コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲(1945)
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)はオーストリア出身の作曲家。
音楽評論家の父を持ち、ミドルネームのヴォルフガングもモーツァルトの名から取られました。これが功を奏したのか幼い頃より作曲で才能を発揮し、マーラーやリヒャルト・シュトラウスらに「天才」と絶賛されます。
10代で既に名声を確立していたコルンゴルトですが、特に23歳の時に作曲したオペラ「死の都」での成功は凄まじく、地元新聞のアンケートではシェーンベルクと並び「存命する最高の作曲家」と称され、ウィーン市からは芸術勲章が贈られるなど、若くして音楽の本場ウィーンで楽壇の頂点に上り詰めました。
コルンゴルトはその後、ミュージカル編曲の縁がきっかけでハリウッドで映画音楽に関わり初め、ウィーンとハリウッドを往復する日々を送ります。しかし、その頃から世界情勢は徐々に悪化。ユダヤ人だったコルンゴルトはナチスの台頭によりアメリカへの亡命を余儀なくされ、本格的に映画音楽作曲家として活動する事になります。
その才能は映画音楽の世界でも遺憾なく発揮され、アカデミー賞を受賞するなど新たな世界でも名声を獲得します。コルンゴルトは映画音楽の世界にワーグナーが用いた「ライトモチーフ」の概念を持ち込み、映画音楽界に革新をもたらしました。「スターウォーズ」の作曲家ジョン・ウィリアムズもコルンゴルトの音楽に多大な影響を受ており、映画音楽の世界はコルンゴルト無しには語る事が出来ません。
しかし、この映画音楽での成功はコルンゴルトにとって必ずしも幸せなものとはなりませんでした。
第二次世界大戦が終わり、祖国にクラシック作曲家として戻る事を望んでいたコルンゴルトでしたが、クラシック界の最前線は既に無調の時代に突入しており、コルンゴルトの作風は古くなっていました。当時の映画音楽に対する評価の低さも手伝い、ウィーンでのコルンゴルトの名声は完全に風化。ウィーンの楽壇に戻る事は叶わず、最期までハリウッドで活動しました。
この為、クラシック界からの評価は近年まで低いままで、映画音楽作曲家というメジャーとは言い難いポジションでのみ名が残る、時代の波に飲み込まれた不遇の作曲家となっていました。
今回紹介するヴァイオリン協奏曲は、映画音楽作曲家時代である1945年の作品。
自作の映画音楽の旋律を大量に用いており、随所に「映画音楽っぽさ」を感じます。
今の映画音楽の源流がコルンゴルトの音楽なのでそう聞こえるのは当然なのですが…。コルンゴルトが映画音楽の世界へ与えた影響の大きさがこの曲からだけでも分かります。個人的に最終盤のホルンの使い方が特にハリウッドっぽさを感じさせます。
この曲もクラシック音楽として見ると完全に時代錯誤の作品で、発表当時評価される事は殆どありませんでした。しかし、この曲の初演も務めた最高峰のヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツが積極的に録音を行った事により今ではコルンゴルトの代表作の1つとして知られています。