クラシック界隈には「第9の呪い」と呼ばれる話が有ります。
交響曲を9つ書くと死ぬと言う作曲家のジンクスです。実は厳密にこのジンクスが適用される作曲家というのはあまり多くないのですが、交響曲の大家が交響曲を9曲程度書いた頃に亡くなっているのは概ね事実で、呪いの実績が積み上がってきた後期の作曲家程この数字を意識していた様です。
一番有名なのがマーラーで、自身の9番目の交響曲にナンバリングタイトルを付けず「大地の歌」という副題のみを付けて発表しました。その後マーラーは交響曲第9番を書き上げますが、10番は未完に終わり「呪い」の実績を更に積み上げてしまいました。この「呪い」がここまで有名になってしまったのは恐らくこのマーラーのエピソードが原因でしょう。
マーラーの時代から数十年後、ショスタコーヴィチもまたこの呪いと対峙します。彼の場合は自身との戦いと言うよりも「天才作曲家ショスタコーヴィチの<第9>」というソ連当局からの期待の方が問題でした。様々な葛藤の末に完成した交響曲は非常に明るく軽妙で大曲とは程遠いもの。「大曲を書かない事」でジンクスを乗り越えようとした結果、当然の如く当局の怒りを買ってしまい、別の形で身の危険に晒される羽目になってしまいました。その後何とかこの批判を乗り越えたショスタコーヴィチは最終的に15の交響曲を書き上げます。
さて、様々なエピソードが残っている「呪い」の話。その大元となった作曲家が誰かという事はご存知の方も多いでしょう。
そう、ベートーヴェンです。
確かに、「呪い」の通りベートーヴェンの最後の交響曲は9番ですが、その後も弦楽四重奏などを作曲しています。10番も全くの手付かずだった訳では無く、作曲途中のスケッチも残っています(スケッチをある程度補完して録音した音源も発売されています)
そして、ベートーヴェンにはそれとは別にもう1つ交響曲が存在します。未完ではありません、れっきとした完成品です。
ベートーヴェン「ウェリントンの勝利」(1813)
「戦争交響曲」という呼び名でも知られる曲ですが、本題の通り正確には交響曲ではありません。前書きは一体何だったのか。
今では存在すらまともに知られていない曲なのですが、当時のベートーヴェン作品の中では異例の大ヒット作でした。新曲の初演を行う度に「そんなのよりウェリントンの勝利を」と言われる程度には。
一体この曲の何がそこまで受けたのか?
この曲はフランスと戦争中だったイギリス軍ウェリントン公爵の勝利を祝った曲です。当時オーストリアもフランスと戦争中だったので、この勝利にはオーストリアの人々も喜んだそうです。まずこの「題材」が聴衆に受けました。
次に「音」の仕掛け。オーケストラとは別に両翼にフランス軍役とイギリス軍役の楽隊を配置し、太鼓やラッパなどを用いた音で戦争を再現します。曲の前半はこの戦争パートが中心です。そして、後半はイギリスの勝利を祝うパート、鳴り響くのは英国国歌「ゴッドセーブザクイーン」。砲弾が飛び交う様やフランス軍が敗走する様なども分かりやすく表現されており、曲の流れが非常に掴みやすくなっています。この音楽のわかり易さと大編成オーケストラ(ベートーヴェンの全作品中でも合唱を除けば一番大きい編成)の大迫力。こうした複数の要員が合わさって聴衆からの絶賛へと繋がります。
この曲は「交響詩」の先駆け的存在です。当時は交響詩というカテゴリがまだありません。それくらい斬新な曲でした。芸術には斬新さも重要な要素なのでその点では非常に芸術的な曲とも言えるのかもしれません。
今となってはこの曲を芸術的と評価する人は殆ど居ません。
例えば、前半の戦争パートの砲の打ち合いは今聴いてみると陳腐で色褪せて聞こえます。「ネタ」が先行気味で、音楽としてはあまりに俗物的過ぎました。分かりやすいのは確かなんですけどね。
そのため、現在では滅多に演奏されない曲となっています。
終盤にさらっと登場するフーガなんかはとてもベートーヴェンらしさを感じさせてくれて面白くはあるのですが…傑作と呼べたものでは無いという事は間違いありません。
ちなみに、この曲の作曲背景には売れる曲を作るためにアイディアを持ち込んだ人物が居ます。今で言うプロデューサーですね。国歌を用いる事や作曲の一部は彼のアイディアと言われています。
音楽は色褪せましたが、曲が大ヒットした後に曲の版権で両者が争う事になる辺りは現代まで色褪せる事無く引き継がれています。
最後に、この様な戦争を題材にした音楽で現在でも一定の評価を得ている曲を紹介します。
チャイコフスキー 大序曲『1812年』(1880)
ナポレオン率いるフランス軍のロシア遠征に対するロシアの抵抗と勝利を描いた曲です。あれ、どこかで聞いたような…。
戦いの場面では実際に大砲が鳴り響き、フランス軍のテーマとして用いられている仏国歌「ラ・マルセイエーズ」は徐々に弱々しくなり、最後に鳴り響くのは帝政ロシア国歌。あれ、どこかで聞いたような…。
この曲が今でも評価を得ているのは、ベートーヴェンの曲に比べ音楽重視だからでしょう。大砲は旋律に乗っかる形でしか表れず、「ウェリントンの勝利」で陳腐に感じた打ち合いの描写はこの曲にはありません。ベートーヴェンの曲のコンセプトをより音楽的にアプローチしたのがこの曲です。
ちなみに、この曲も聴衆の評判は非常に良かった様です。
チャイコフスキーはこの曲の作曲はあまり乗り気では無かったようで、完成当初は自身の評価もいまいちでしたが、その評判には作曲家本人も満更でも無かった模様。
「戦争交響曲」の様に、当時は大ヒットしたのに後世で駄作と言われる曲もあれば、当時難解と言われても後世で理解が進み名曲扱いされる曲もあるのがクラシック音楽の世界。色々です。