どようのつちのひクラシック音楽

どようのつちのひ 19

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前回の予告で「次回は演奏会時のトラブルのお話」と書きましたが、気が変わった…というかネタがあまり多く上がらなかったので、ひとまず延期という事にして今回は久々の曲紹介です。


バッハ 『ブランデンブルク協奏曲』 第1番 第1楽章 (1719頃)

バッハと言われると「マタイ受難曲」やミサなどの宗教音楽作品であったり、「平均律クラヴィーア曲集」といった如何にも堅苦しそうな雰囲気を纏った名前の曲のイメージが強い方も居るのでは無いでしょうか。バロック期の作曲家の最後尾とされ、今までのバロック音楽を集大成し、その後に続く古典期の作曲家の規範となった為に「音楽の父」などとも呼ばれます。ちなみに、この呼び名が通じるのは日本だけらしいですね。

そういったバッハ作品の中でも、比較的自由に書かれた曲が今回紹介する「ブランデンブルク協奏曲」です。
曲名の通り協奏曲ですが、現代よく聴かれる伴奏担当のオーケストラと独奏のみを担当するソリストという形式とは少し違い、全員が一緒に曲を演奏する中にソロも担当するソリストが何名か混ざると言う形を取っています。前者の独奏協奏曲に対し合奏協奏曲などと呼ばれます。合奏協奏曲はバロック期の協奏曲では一般的な形式でした。

ちなみに、曲名にあるブランデンブルクはこの曲が献呈された場所で、曲想とは特に関連ありません。 そもそも、この曲名は後の研究者が名付けた名称で、自筆譜には
「いくつもの楽器による協奏曲集」

と記されているそうです。まさに合奏協奏曲ですね。また、全部で第6番まで有るブランデンブルク協奏曲ですが、どの曲も編成はバラバラでソロ楽器も異なり、合奏協奏曲である事以外の統一性もありません。

今回紹介する第1番はこの曲集の中では一番大きな編成を持った曲です。
独奏楽器として指定されているのが、ホルン2本、ファゴット、オーボエ3本、そしてヴィオリーノ・ピッコロです。最後のヴィオリーノ・ピッコロが聞き慣れない楽器ですが、ヴァイオリンより少し小さいサイズの古楽器で、ヴァイオリンで完全に代用出来る為、現代ではまず使われない楽器です。

この楽章で特筆すべきは何と言ってもホルン!
このホルンを聴いて欲しいという理由だけでこの曲を取り上げました。

8ビートの伴奏に乗って優雅で端整なメロディーを弦楽器たちが奏でている中、ホルンだけは3連符で勝手気ままに狩猟の信号音の様な音を奏でます。このホルンだけ部屋の外の様な扱いが個人的に大好きなのです。実際この曲は、狩りの喜びを表現した音楽描写に狩猟笛が乗っかっていると言った音楽なのだと思います。ちなみにここで言う狩りとはサバイバル目的では無く、貴族の娯楽としての狩りを指します。
その空気読まずのホルンですが、ただKYなだけでは無く、随所でソロとして技巧もしっかり見せます。この技巧からしれっと信号音に帰って行ったりするのがこれまた面白いのです。ちなみに、これはホルンに限らない話で、他のソロ楽器もソロを吹いたかと思うと即座に伴奏側に入れ替わったりします。この変わり身の早さは合奏協奏曲の楽しみ方のひとつかもしれません。
他にも2本のホルンが交互に音を出し合ったりと曲中で行われる「会話」からも音楽の喜びをひしひしと感じます。

4分程度の短い楽章で、メロディーも同じものが何度も繰り返されるので、かなりシンプルな曲のはずですが、曲調もソリストも目まぐるしく入れ替わる為、曲の長さ以上のボリューム感があります。是非繰り返し聴いて欲しい曲です。
もちろん、全楽章通しで聴いてもらっても良いですが。

 

ちなみにホルンに対して「狩猟」という言葉を何度も使いましたが、当時のホルンは現代のフレンチ・ホルン程発達しておらず、その元祖の楽器が用いられていました。その古楽器は「コルノ・ダ・カッチャ」と言う名称で、これを直訳すると「狩りの角笛」。元々狩りの為に作られた楽器なのです。狩猟の際、馬に騎乗していても容易に肩に担ぐ事ができ、そのまま音を鳴らす事も可能だった為、この形状になりました(画像はWikipediaより)

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最後に、なんだか恒例となりつつ有る気がする「おまけのもう1曲」

今回は全く同じ曲を古楽器で演奏した動画です。先程紹介した「コルノ・ダ・カッチャ」も映像に見ることが出来ます。
古楽器は現代ほど楽器が機能的でなく、音色も今ほど華やかでは無いのが特徴です。当時はこんな音の演奏だったのです。

一番違和感を感じるのは音程かもしれません。まるで違うキーで演奏しているようです。
以前のコラムで、現代オーケストラのチューニングの基準音は440Hzと紹介しましたが、当時の基準音は415Hzだったと言われています。実に25Hzも差があります。25Hzの差と言うのは、ほぼ半音違うので、異なるキーで演奏されている様に聴こえるのも仕方ありません。