この頃は近現代の音楽を取り上げる事が多かったので久々にロマン派時代から。
ブラームス 交響曲第1番より第3楽章(1876)
大のベートーヴェン信者だったブラームスがベートーヴェンの後継者となるべく作曲したこの交響曲は、彼をあまりに意識しすぎたために着想から完成までに21年を要しました。その甲斐あってか初演後には「ベートーヴェンの10番」と讃えられています。
確かにベートーヴェンが築き上げたドイツ音楽の伝統を受け継いだ曲ですが、ブラームスらしさもしっかり表れています。今回紹介する第3楽章はその魅力を堪能するのに丁度良いと思い取り上げました。
ベートーヴェンは「運命」に代表されるようにひとつの主題を徹底的に変形、展開させていくのに対し、ブラームスは主題をそのまま使いまわす事も多々あります。ベートーヴェンの様式を引き継ぎつつも本家ほどの堅苦しさが無いのはこの辺りに起因するものだと思います。
また、両者のフレーズの長さを比較するとブラームスの方がかなり長いです。歌ってみると良く分かるのですが、今回の3楽章なんか旋律をすべて追いかけると息切れしてしまいます。
ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」より第2楽章(1808)
似た曲調で比較するとこの辺でしょうか。
どちらの曲も暖かく長閑な雰囲気ですが、ベートーヴェンの方は拍が明確に見えている分、少し硬く聞こえます。
アンサンブル面でもブラームスの方が楽器の重ね方が有機的だったりします。
ざっくりした言い方ですが、ベートーヴェンよりメロディカルなんですよね。
さて、本題の3楽章に戻ります。
音の動きは活発なのですが、フレーズが終わりそうになったら直ぐに新たなフレーズが湧き出てくる息の長さが音の活発さを打ち消して大変ゆったりした雰囲気の曲となっています。ひとつのフレーズを様々な楽器が重なり合うように引き継いで行く様はこの楽章の聴きどころ。
クラリネットやホルンといった音の輪郭が柔らかい楽器を旋律の中心に据える事で音楽は丸く暖かみを帯び、どこか幻想的でもあります。こうした雰囲気作りもブラームスならでは。
また、古典的な交響曲では3楽章にはメヌエットやスケルツォと言った3拍子系の音楽が配置される事が多い中、2拍子の音楽を配置しているのも特徴です。
「ベートーヴェンの10番」と評されたわけですが、「第9」の完成は1824年。ブラームスの1番はそれから50年以上も後の曲です。既にリスト、ショパン、ワーグナー、ドヴォルザーク、チャイコフスキーと言ったロマン派の大家がひしめく時代。ブラームスの「ベートーヴェン臭い」音楽は当時「形式的過ぎて古臭い」と言われる事もあった様ですが、ロマン派の流れもしっかり受け継いでいました。
ロマン派時代の作曲家ですが、その作風から「新古典派」とも呼ばれます。