どようのつちのひクラシック音楽

どようのつちのひ 56

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ショスタコーヴィチ①

前回のコラムで私がショスタコーヴィチ好きと書いたので、今回は彼の作品の簡単な紹介をしてみようと思います。長くなるので複数回に渡って行う予定です。今回は全交響曲の半分くらい紹介できれば。


◇交響曲第1番(1925)
レニングラード音楽院の卒業制作。この曲の初演が大成功で西側諸国でも即座に演奏が行われ、ショスタコーヴィチの名前が世界に知られることとなります。
各楽器のソロで音楽を繋ぐ部分が目立つオーケストレーションは全体的に薄めの曲です。そのソロ同士の対話が楽しい曲。曲のノリも軽めで交響曲第9番の明るさに近い雰囲気を感じます。全4楽章。
作曲家らしい音楽の方向性が出来上がるのは4番以降だと思っているのですが、1番でもその片鱗は随所に見られます。このフレッシュさが一番の聴き所なのかもしれません。

◇交響曲第2番「十月革命に捧げる」(1927)
革命以前に虐げられてきた人々の追悼と革命の賛美と言う明確な体制賛美の曲です。まだ前衛音楽が容認されていた時代で、曲中に27声部に及ぶウルトラ対位法という音の大洪水地帯が有る事で有名。この対位法部分は音楽としては混沌そのものなのですが、大太鼓の1撃を境に流れが変わる瞬間などは聴いていて面白いです。
合唱付きの単1楽章の曲ですが、合唱が出るのは後半のみで前半は純粋な管弦楽となっています。合唱登場の直前に鳴り響く工場のサイレンも特徴的(金管楽器で代用可の指示も有りますが、本指定は本当に工場のサイレン)
最後にレーニンの名を叫ぶシュプレヒコールが有るレベルの革命賛美音楽なのも手伝って演奏機会はかなり低め。

◇交響曲第3番「メーデー」(1929)
副題の通りメーデーが題材の作品。メーデーの祝祭的な雰囲気を表した曲。
…との事なのですが、祝祭的な雰囲気は冒頭くらいで開始2分くらいで突如急加速して威勢の良い音楽に変貌します。個人的にはこの急転直下っぷりが大好きです(序奏が短い音楽が好きな所がある)
荒々しい部分も多いですが、暫くするとまた楽天的な音楽が帰ってきたりする躁鬱的な音楽でもあります。「労働者の権利闘争と勝利」みたいな感じなのでしょうか。
この曲も合唱付きの単1楽章構成、合唱は後半のみと交響曲第2番と構成が酷似しているのでセットで語られる事が多いです。ただし3番は前衛色は殆どなく、音楽そのものは非常に聴きやすいものとなっています。

◇交響曲第4番(1936、初演1961)
2番3番と違い純粋な管弦楽曲で「これまでの作品の総括」として作曲された曲です。ショスタコーヴィチ全交響曲の中でも最大編成の大曲。
この曲を発表する直前、別の作品を共産党機関紙「プラウダ」に批判されてしまい作曲家は命の危険に晒されます。それらの作品と比較的近い作風だったこの曲はリハーサルまで行ったにも関わらず作曲家自身の判断でお蔵入りとなってしまいました。初演が行われたのはそれから25年後。既に総譜は散逸しており、パート譜からの復元作業を経て復活初演が行われました。この4番をお蔵入りさせた後に発表したのが有名な第5番です。

作曲家が総括と語っている通り、この曲は規模が大き過ぎて内容をあれこれ語るのが非常に難しい曲です。演奏時間がかなり長い上に、以降のショスタコーヴィチ作品を形作る要素が数多く盛り込まれている為、「良くわからない得体の知れない何か」という印象が大きいのが個人的な感想です。こんな曲を予定通り発表していたら当局が怒っただろうなと言うのはよくわかります。

何度聴いても良くわからないと言うのは、作曲家好きにとっては一生聴けると言う事で、ある意味堪らない話です。この曲の好き嫌いがショスタコーヴィチ好きの分水嶺になっている様な気がします。ショスタコーヴィチ自身
「失敗作でオーケストラで演奏されなかったが、私自身この曲のいくつかの部分は好きだ」

と言う言葉を残しているくらいなので、曲全体では実際得体の知れない曲なんだと思います。

この通りの曲なので聴き所すら上げるのが難しいのですが、強いて言うなら最後でしょうか。最後のメロディーはチェレスタが壊れたオルゴールの様に延々と鳴らし続けるのですが、これがとてつもなく不気味です。この曲以上に不気味なチェレスタを私は知りません。

ショスタコーヴィチはマーラーからの影響が大きい作曲家なのですが、この曲は特に影響が大きく、マーラーが好んだ音楽形式やマーラーの曲からの引用が曲中で使われています。


長くなってしまったので続きは次回に。
このペースで書いてたら4回くらい続きそう。