ショスタコーヴィチ②
ショスタコーヴィチ(1906-1975)は良く知られるクラシック作曲家の中では最も最近の人物と言って良いかもしれません。他には「アランフェス協奏曲」のロドリーゴ(1901-1999)、「カルミナ・ブラーナ」のオルフ(1895-1982)辺りが有名でしょうか。
激動のソ連を生きた作曲家であり、ソ連当局の目が光る中で彼の作曲活動は行われました。粛清の嵐が吹き荒れる中、当局が掲げる「社会主義リアリズム」(社会主義を賛美する芸術作品)という曖昧な指針に背かない様な作曲を行う事を強いられます。
今回は前回に引き続きショスタコーヴィチの曲紹介です。
◇交響曲第5番(1937)
4番での説明通り「プラウダ批判」に対する作曲家の回答として用意された曲。
ベートーヴェンの5番に代表される様な「苦悩、闘争からの勝利」と言う明快なストーリー構成を持ちます。
この曲が国民は勿論の事、当局からの絶賛を受けた事でプラウダ批判に対する汚名を見事に晴らしました。
ショスタコーヴィチの作品でも最も有名な曲なので曲の内容については割愛します。個別で取り上げる事も有るでしょう。全4楽章。
◇交響曲第6番(1939)
3楽章構成で一般的な交響曲で言う所の第1楽章に該当する要素が存在しない為「頭の無い交響曲」とも言われます。非常に沈鬱で長い第1楽章に対して2,3楽章が短く快活と言うアンバランスな曲です。大成功を収めた5番の直後の作品と言う期待の中で発表するには少々地味な曲であまり評価は高くありませんでした。
この作品発表の数ヶ月前に第二次世界大戦が勃発しています。作曲の開始自体は勃発前なので直接の関係は深くありませんが、世相を反映した様な暗雲立ち込めるムードが印象的な曲です。
◇交響曲第7番「レニングラード」(1941)
第6交響曲の年に勃発した第二次世界大戦から2年後の1941年、ドイツが不可侵条約を破りソ連に侵攻を始めます。ドイツ軍により包囲されたレニングラード、ショスタコーヴィチはそこでこの曲を書き上げました。書き上げたスコアは重要機密扱いで軍により輸送され翌年3月臨時首都で初演されます。その数カ月後には、ロンドンやアメリカなどでも演奏されました。そして8月には包囲真っ只中のレニングラードでも初演が行われます。その初演はスコアは特別機による空輸で、前線に駆り出されていた楽団員も呼び戻され、ソ連軍がドイツ軍に対し猛攻をかけ一時的に敵の攻撃を止めさせたという徹底ぶり。
社会主義リアリズムと称し、国内の作曲家に国威発揚を促す作品作りを強要していたソ連当局ですが、この曲については強要などされておらず自らの愛国心の発露として作曲された様です。開戦直後にショスタコーヴィチは自らの意志で義勇軍へ入隊し最前線で戦う事を望みました。この才能を失う訳にはいかないと周囲の説得により断念していますが。この強い愛国心から作られた曲は結果として強いナショナリズムを持ち、社会主義リアリズムと強く結びつく曲となりました。
全4楽章編成。1楽章はボレロの様な形式で同じメロディーが何度も繰り返されます。このテーマが繰り返される度に暴力的に変化していく事で戦争の足音が近づいてくる事を描いています。この「戦争のテーマ」が最高潮に達した後、犠牲者の追悼の音楽が流れ、楽最後に再び微かに戦争のテーマが鳴る事でこの戦争がまだ終わっていない事が暗示されています。2楽章は平和な時代を回想する音楽。3楽章も似た趣旨ですが、2楽章が暗雲立ち込める中での瞑想的な回想なのに対して3楽章は強い祈りに満ちた激情的な音楽で音楽的には対称的なのが特徴です。4楽章で場面は再び戦争へと戻ってくるのですが、冒頭で流れる主題のリズム「
・・・-
」はモールス信号の「V」で、勝利の暗示とされています。このリズムはベートーヴェンの5番で有名な運命のリズムでもあり、静かに流れる主題でありながら何かしらの予感を感じさせます。その後、泥沼化していく戦争描写を経て金管による強烈な主題が演奏される事によりこの曲は圧倒的な勝利を持って幕を閉じます。
1楽章のボレロ地帯がとても有名なこの曲ですが、終楽章のクライマックスの圧巻ぶりは凄まじく、是非とも聞いて欲しい部分です。ショスタコーヴィチ全交響曲で1番長いと言うのが玉に瑕。
◇交響曲第8番(1943)
7番に続き戦争を描いた曲。ちなみに789番で「戦争3部作」とも呼ばれます。
7番が戦争の光景をスペクタクルに描いたのに対し、8番は戦争による精神的な苦痛を描いた内向的な曲となっています。7番で有ったクライマックスでの圧倒的勝利とは違い、明るさは取り戻すものの静寂の中に曲が消えていきくと言うラストで、この内容に対し「もっと明るい曲は書けないのか」と当局に苦言を言われてしまい、次の9番と併せて1948年のジダーノフ批判に繋がる原因の曲とされています。全5楽章。
音楽の暗さから演奏機会は少なめですが、音楽的な評価は高い曲です。
◇交響曲第9番(1945)
稀代の天才作曲家の「第9」という当局の期待を背に完成した曲は楽天的で軽妙な曲でした。ショスタコーヴィチ自身は「終戦の喜び」を現したと語っていますが「第9」や「第9のジンクス」に対するプレッシャーも少なからず有った様で、結果として集大成のような作品を避けたという側面もこの曲には有ります。一度は壮大な曲を書いているのですが、作曲途中でこの曲は破棄されてしまいました(ちなみにこの書きかけのスコアは2003年に発見され、現在では録音も残っています)
当然ながらこの曲に当局は落胆し、先の8番と併せジダーノフ批判に繋がる作品の一つとなりました。全5楽章。
この曲は以前コラムでも取り上げているのでこちらもどうぞ。

今回はここまで。7番に気合いを入れすぎた気がします。
次回で交響曲10-15まで何とか終わらせる予定。