どようのつちのひクラシック音楽

どようのつちのひ 59

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ショスタコーヴィチ③

雑な楽曲紹介シリーズの続き。今回は交響曲10~15番。

1948年、ショスタコーヴィチらを始めとする前衛芸術家たちは「ジダーノフ批判」により自己批判を余儀なくされます。ショスタコーヴィチについては先の交響曲第9番が当局の期待を大きく損なった事が大きな要因でした。

この批判より暫くの間、ショスタコーヴィチは体制賛美の音楽ばかり作曲しています。この期間は音楽的に充実した時期とは言い難いものの、体制迎合の内容ながらオラトリオ「森の歌」などは現在でも人気が有ります。

◇交響曲第10番(1953)
ジダーノフ批判の影響もあり、これまで数年に1曲は発表していた交響曲は9番を最後に暫く途絶えていました。再び交響曲の作曲に取り掛かったのは9番の作曲の8年後の1953年。この年にスターリンが亡くなったのです。これをきっかけに芸術に対する抑圧はかなり緩和され「雪どけ」と言われる時期に入ります。

この曲の特徴は作曲家のイニシャルが曲中に散りばめられている事。

前回のコラムで「BACH音型」の話をしましたが、ショスタコーヴィチの場合は「DSCH音型」です。ショスタコーヴィチのドイツ表記(Dimitrii Schostakowich)のイニシャルから取られた音型です。この「レ、ミ♭、ド、シ」の4音が第3楽章以降頻繁に登場するようになります。

この交響曲は作曲家の自叙伝的な側面を持ち合わせており、1-2楽章ではスターリンの時代を、そして3楽章以降はスターリン死後の時代。その抑圧からの開放のモチーフとして「DSCH音型」が徐々に顔を見せます。

終楽章の盛り上がりでは何度も大音量のDSCHが鳴り響き、最後もオーケストラの狂乱の中、ティンパニがDSCH音型を叩き続けながら曲が終わります。

最後がグリッサンドで終わる珍しい交響曲。

全4楽章。4楽章編成の交響曲は交響曲第7番以来でした。

◇交響曲第11番「1905年」(1957)
副題の通り1905年に起きた「血の日曜日事件」を題材にした標題音楽。
とても映画音楽的で、映画「戦艦ポチョムキン」では実際にBGMとして用いられています。無抵抗のデモ隊に対し発砲する帝国軍のシーンを描いた2楽章がとりわけ有名で映画で使われたのもこの楽章です。

全4楽章。全ての楽章が切れ目なく演奏されます。

◇交響曲第12番「1917年」(1961)
11番と似た副題ですがこちらのテーマは1917年のロシア革命。先の血の日曜日事件がロシア革命に繋がった経緯があるので、続き物の交響曲と見て良いでしょう。こちらは特に映画音楽で使われたという記録は有りませんが、こちらも11番に並ぶ映画音楽っぷり。現代の戦争映画音楽と言われても全く違和感がありません。

11番が曲全体を通じ凄惨な雰囲気を出していた事に比べると12番はかなり元気な曲です。それでもテーマがテーマなので一般的な曲と比べたら十分暗めですが。

ちなみに楽譜を見ても追いかけるのが中々大変な変拍子音楽です。

全4楽章。11番同様こちらも全楽章切れ目なく演奏されます。

◇交響曲第13番「バビ・ヤール」(1962)
「バビ・ヤール」とはウクライナはキエフ地方に有る渓谷の名前で、この地で行われたナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺がこの曲のテーマとなっています。当時新鋭の詩人によって書かれた歌詞を持つ合唱付きの交響曲。

この曲の初演をソ連当局は大変嫌がりました。
というのも詩の内容はナチス・ドイツによる虐殺だけに留まらず、ソ連国内でも蔓延っていたユダヤ人弾圧への告発まで含まれており「ソ連に人種問題は無い」と言い張っていた当局としては非常に都合の悪いものだったからです。

当局の妨害によりソリスト歌手の人選は難航し、歌手が二転三転した上に当日になって予定の歌手が来れなくなるという事態に。しかしこの事態を見越した上で用意していた代役の若手歌手を呼びつける事でなんとか初演に漕ぎ着けたという経緯がこの曲にはあります。

しかもこの後、詩人が怖気づき詩の内容を当局への告発を抑えたものに改訂してしまうというオチまでつく始末。これにはショスタコーヴィチの大変落胆した様です。現在は改定前の歌詞での演奏の方が一般的です。

ちなみに「バビ・ヤール」は通称ですが、1楽章の副題が「バビ・ヤール」であり、音楽解釈の妨げにもならないため一般的に使われています。

全5楽章。全ての楽章に男声合唱とバスの独唱があります。

◇交響曲第14番(1969)
全部で11楽章もある上に、楽器編成が弦楽と打楽器とソプラノ歌手とバス歌手と言う管楽器が一つもない歪な編成の曲。今までの交響曲と比べると圧倒的に少人数編成の交響曲な上にどの楽章も難解でかなりとっつきにくい曲です。

音楽的にもトーンクラスターや12音技法など今までショスタコーヴィチが用いなかった手法が取り入れられている上に、歪な編成による独特な音響も手伝い、交響曲に限らずショスタコーヴィチ全ての作品の中でも異彩を放ちます。

11の楽章全てに様々な詩人からの詩の抜粋が使われています。

それぞれに「死」がテーマとなっており、高齢になり病床に伏せる事の増えた作曲家の死生観を垣間見ることの出来る作品です。

◇交響曲第15番(1971)
ショスタコーヴィチ最後の交響曲は純器楽による4楽章編成のオーソドックスな形式の交響曲。ショスタコーヴィチ作品では10番以来の交響曲です。

自身の人生を振り返る様に、自作他作問わず様々な曲の引用が出てくる曲です。一番目立つのは1楽章に現れるロッシーニの「ウィリアム・テル」のラッパでしょうか。1楽章は子供の頃の回想であり、ショスタコーヴィチが幼い頃ウィリアム・テルを良く聴いていたのだとか。他にもハイドンやワーグナーなど様々な引用が見られます。

14番が作曲家の音楽的な集大成とするなら15番は人生の集大成と言うべき作品。幼少の回想に始まり最後は事切れる様に終わっていく音楽です。


駆け足ですが、交響曲全曲紹介でした。

協奏曲など他の主要作品についてもかいつまんで紹介していく予定ですが、次回は別の事をやるかもしれません。予定は未定。