ベートーヴェン ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」より第1楽章(1819)
ベートーヴェン最高のピアノソナタの話題となると宗教戦争が勃発しかねませんが、この29番は全32曲あるベートーヴェンのピアノソナタの中で最大のもので有る事は間違いありません。
何と言っても演奏時間。全楽章通すと45分近くかかります。ピアノのソロ作品でこの規模の作品はベートーヴェン以外の作曲家でも滅多に有りません。
この長大な演奏時間に加えて、非常に高度な演奏技術を要求される事からピアノ作品の難曲のひとつとしても挙げられます。
冒頭に提示された主題を何度も何度も繰り返して展開していくのが何ともベートーヴェンらしい曲。主題をひとしきり展開し終えた後、唐突に始まる主題を用いたフーガ調の音楽が個人的にはこの楽章1番の聴きどころです(紹介動画だと[5:39-])たった1つの旋律が幾重にも折り重なり新たな構造物を構築して行く様は何度聴いても感動します。
副題の「ハンマークラヴィーア」とはピアノのドイツ語表記。
ピアノソナタ28番以降、ベートーヴェンが書簡などでピアノの事をハンマークラヴィーアと記す様になった事に由来しています。そういう意味では28番にも同じ副題が付いて然るべきなのですが、気づけば29番だけが「ハンマークラヴィーア」と呼ばれる様になりました。例によって作曲家によるものでは無いタイプの副題。
現在ピアノと呼ばれているこの楽器は元々「ピアノフォルテ」と呼ばれていました。楽譜の楽器略称「pf」にその名残を見ることが出来ます。
ピアノの元祖はチェンバロですが、チェンバロの鍵盤機構は張られた弦を弾くのみで、強弱をつける事が出来ませんでした。それをハンマーで叩く形式に変更する事で強弱を得たのがピアノです。この「強弱」がピアノフォルテの由来だったりします。
閑話休題。
ベートーヴェンの時代はピアノはまだ進化の途上段階で、メーカーによって出せる音域に違いがありました。ベートーヴェンはこの曲を作曲中に新しいピアノを入手しています。この新しい楽器の影響は4楽章にあり、この楽章には元々所有していた楽器では出せなかった低音域の音が用いられています。一方で1-3楽章は元から所有していた楽器でしか出せない高音域の音が配置されており、ベートーヴェンの時代ではこの曲を1台のピアノで弾き通す事は不可能でした。
あまりの難易度でこの曲を弾ける奏者が作曲家本人しか当時は存在しなかった為にこの事は大きな問題にはならず、本人も「50年もすれば人も弾く」と妥協しなかったそうです。技術面は勿論の事、その頃には1台で弾き通せるピアノも開発されているだろうと考えたのでしょう。実際、20年後にはリストらがこの曲をレパートリーとして各地で演奏しています。勿論1台のピアノで。
ピアノとその奏者の進化を伝える逸話が今に残るからこそ、この曲だけが「ハンマークラヴィーア」と言う名称で語られているのかもしれません。