「どようのつちのひ」の延長みたいな感じですが、今後はより自由に、より個人的な想いを書き連ねて行こうと思います。
「どようのつちのひ」の内容は大した分量では無かったのですが、情報のミスが無いように資料をあれこれ確認しつつ書いていたので、分量以上の手間が有りました。
なので、今回からはもう少しゆるい感じで。
更新頻度もゆるい感じで。
情報の正確さも…そういう物があまり求められない内容に。
シリーズ名が決まらないので取り敢えず今回はタイトルだけ。ゆるゆる。
常日頃から日用の消耗品の様に音楽を大量に消化していると、音楽に対する感性が働かなくなっている事を感じる時があります。
いわゆるBGMの感覚で聴く音楽も決して悪いものでは有りませんが、初めて聴く曲くらいは少し襟を正して聴きたいものです。
それが出来るのがコンサートホールでの実演なのですが、知らない曲をコンサートホールに足を運んでまで聴くというのもハードルが高くジレンマを感じる所です。
実はもう話が脱線しています。
過去を振り返って、一番衝撃を受けた曲って何だろうと考えていたのです。
ダラけた感性で聴いていても1度聴けば忘れないであろう強烈なやつが有りました。
ブルックナー 交響曲第9番より第2楽章(1894、終楽章未完)
この曲は以前コラムで紹介しました。ただしロングトーンネタです。

クラシックと言えば華麗な旋律だったり美しい和音だったりのイメージが強いと思うのですが、この曲の主要部がやっている事と言えばほぼ同音連打。
よく考えたらとんでもない曲です。
「こんな音楽が有って良いのか」とすら思えてきます。
同音連打系のベートーヴェンの5番でも「ジャジャジャジャーン」とか「ソソソミー」とか言えるのに、この曲は「レレレレレレレレレレ…」ですからね。他の曲を色々聴いていると異色さが際立ちます。
序奏の浮ついた和音を背景にして徐々に緊張感の高まっていく弦楽器のピチカートの先に現れる強烈な同音連打。初見時は勿論のこと、今聴いてもかなり強烈な音楽です。
また弦楽器のダウンボウが格好良いんだ。弾く側は疲れるんでしょうけども。
ちなみに、そんなブルックナーの9番が9/23のEテレ「クラシック音楽館」で放送予定です。
東京交響楽団でマーラー10番とのカップリングだそうで。
どちらも未完で終わった最後の交響曲です。
同音連打と言えば、ブルックナーより少し後の時代にこんな曲も出てきます。
ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」第1部「大地礼賛」より「春のきざし」(1967年版)
この音源は1967年版との事ですが、初稿年は1913年。
ストラヴィンスキーは何度も改訂をする作曲家でした。ブルックナーも改訂の多い作曲家だった辺りはストラヴィンスキーと共通する物がありますね。
一応は調性音楽なのですが、不協和音に近い音響とリズム中心の音楽で、常識的に思い描く調性音楽とはかけ離れた音楽です。いわゆる「現代音楽」のイメージってこの辺なんじゃないでしょうか。
あと、ゲーム音楽とかで有りそう。